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中国の女性が日本でゴミを勝手に収集 622回警告されてもやめず、現行犯逮捕
日本では、ごみは厳格な分類と処理が行われている。そのため道端のゴミも勝手に持ち去ってはいけない。最近、日本でゴミを収集したことによって逮捕される案件が発生した。45歳の中国籍の女性がアルミ缶などのゴミを拾ったことで、622回も警告されていたがやめず、最終的に逮捕されたのだ。
日本の読売新聞の報道によれば、18日、熊本県警は中国籍の職業不詳の女性(45歳)を廃棄物処理条例違反容疑で現行犯逮捕したようだ。発表では、同日午前7時20分頃、同市西区城山下代2のごみ置き場で、市長から資源物収集の禁止命令を受けたのにアルミ缶などが入ったビニール袋2袋を収集した疑い。市はこれまでに、女に注意や警告などを計622回行ったが、やめなかったため、県警に告発した。容疑を認めているという。

中国で拘束された日本人スパイ、やはり日本政府が関与していた!
中国で日本人がスパイ罪に問われ、昨年実刑判決を受けた4件のうち少なくとも3件について、中国の裁判所が判決で、日本の政府機関の関与を認定していたことがわかった。複数の日中関係筋が本紙に明らかにした。日本政府は一貫して、外国へスパイを送り込んだ事実はないと否定している。
中国政府は、スパイ捜査への国民の協力義務などを定めた「反スパイ法」を2014年11月に施行するなど、スパイ摘発を強化しており、日本人摘発もその流れの延長線上にあるとみられる。
関係筋によると、15年5月に浙江省温州で拘束され、18年7月に懲役12年の実刑判決を受けた愛知県の男性(54)に関し、裁判所側は「温州沖の南ジ(=鹿の下に机のつくり)列島で、中国海警局(日本の海上保安庁に相当)の公船の動向を監視し、日本の政府機関に情報提供していた」と認定した。判決は、男性が南ジ列島で借り上げたマンションから、海警局の公船の写真を大量に撮影するなどしていたとも認定した。

抗日戦争の中国空軍は割と頑張っていた!
八年の抗日戦争で中国空軍は1543機の日本戦闘機を撃墜し、330機を破損させた。爆撃、追撃、偵察、運送などを目的とした出動は18500機で、空戦での出動は4027機だった。どうやってこのような優秀な成績を残したのか?
1937年8月淞沪での戦争前に、日本軍は戦争に使える航空機は約2300機、用意していた戦闘機は約280機だ。その反対に中国の空軍を見ると、全部合わせて約600機、日本の七分の一にも及ばない。
戦争が始まって3ヶ月間、中国空軍は援助のない状況で、日本の戦闘機30機を撃墜し、パイロット327人を仕留めた。だが、中国空軍の残りの戦闘機はわずか30機だけだった。
1936年からソ連は中国に志願航空隊を援助する動きを見せていて、1937年10月から、1938年末までに、ソ連戦闘機471機が蘭州へ到着した。また1940年、ソ連はI-16(ポリカルポフ)戦闘機150機、Il-4(イリューシン4)爆撃機20機、Ar-2(アルハーンゲリスキイ2)急降下爆撃機30機を援助した。1940年に至る前は、中国の戦闘機は49機のみ。日本には960機以上の航空兵力があった。
日本側の分析は客観的だった。
二つの時期を対比した、日本が記した戦争の状況。
1942年7月から、中国に存在した航空機はますます活躍した。7月1日、9機のB-25爆撃機が九江と漢口を襲った。2日、3日も3機のB-25爆撃機が漢口の海軍を襲った。3日はまた5機のB- 25爆撃機、4機のP-40戦闘機が南昌の空港を襲った。6日自雲空港を襲った。9日また2機のP-40戦闘機が南昌の空港を襲った。
戦争の末期、中国空軍が制空権を得たのは、上記の通りアメリカのおかげだ。1945年1月、中国にいたアメリカ軍は32956人で、その内23960人が空軍兵だ。その後、毎月空軍の人数は増えていった。8月15日戦争が終結時、中国にいたアメリカ軍は60369人、空軍34726人。
参考資料
李玉贞『抗日戦争における中国の航空戦力』
王跃如『太平洋戦争、空軍における米中協力』

なぜミャンマーは親日なのか
多くの歴史の資料によると、ミャンマーのミャンマー族居民は親日で反英的であり、北部の少数民族は反日で親英である。
ミャンマーを助ける為に中国が派遣した遠征部隊だが、英国植民地軍とともに作戦を行った中国の遠征部隊がミャンマーの内陸に行っても絶対にミャンマー族居民に歓迎されない。
これは先の大戦とも関係があり、アウンサンスーチーの父アウンサン将軍と日本軍の共同作戦で遠征軍を派遣したことや、日本が遠征軍に武器を提供したこととも関係がある。
現在のミャンマーの歴史書にはまず中国遠征軍の記述がなく、しかも当時のミャンマーにあったたくさんの遠征軍墓地は破壊されたのに、日本軍墓地はほとんど破壊されていないのだ。